DSC_0759
足柄城
  • 訪問日 2017年3月14日
  • 所在地 静岡県駿東郡小山町/神奈川県南足柄市
  • 山城
  • 築城者 北条氏綱?
  • 築城年 1536年?
記念すべき第1城目は足柄城です
足柄城は以前も行ったことがあったのですが、徒歩で行く場合は御殿場線の足柄駅(小田急小田原線の足柄駅とは27kmほど離れる別の駅です)旧矢倉沢往還の峠道をしたすら登ることになります
結構時間かかった覚えありますが正確な時間まではちょっと覚えてないですね…

矢倉沢往還は昔の東海道にあたり、平安時代 在原業平で有名な伊勢物語や更級日記の時代に彼らが通った道はこちらの矢倉沢往還でした、東海道が箱根を経由するルートになった江戸時代には こちらのルートは足柄街道と呼ばれ、足柄に関所が設けられてます

さて、足柄城はその矢倉沢往還の足柄峠に位置し、街道を巻き込む形で築城されています
元々は大森家の砦として機能していたものを、後北条家の2代目当主の北条氏綱が1536年頃に対駿河への備えとして築城した模様

以下Wikipediaの記事により

足柄城は大森氏により築かれたとみられ、その後天文5年(1536年)頃に北条氏綱により改修された見られるが、正確なところはわかっていない。天文24年(1555年)に北条氏康がこの城に改修をおこなったとされ、これは氏康が三田郷(神奈川県厚木市)の百姓に足柄城普請の人足を出させることを命じた記録からわかっている。

永禄11年(1568年)に甲相駿三国同盟武田信玄の駿河侵攻により破棄されると、この城の防衛上の重要性が増したことから、永禄12年から元亀2年(1569年~1571年)にかけて、大幅な改修を行っている。

武田氏滅亡後は、豊臣秀吉と対峙するようになり、天正15年(1587年)には北条氏光を城番とし大規模な改修を施し、天正18年(1590年)に小田原征伐が勃発すると、北条氏忠をこの城の守将として配置した。氏忠は山中城静岡県三島市)が落城するを聞くと小田原城に退却し、残された守備隊は豊臣方の井伊直政の攻撃をうけ、本格的な戦闘が行われること無く、この城は落城している
足柄城は足柄駅より静岡・神奈川県78号御殿場大井線を暫く登って行ったところにあります。徒歩で行く場合、旧矢倉沢往還(足柄街道)を登り徒歩1時間半〜2時間ほどかかると思います
車だと麓の足柄駅から15分ほど、県道とは言え道が細く 俗に言う酷道、険道なので注意が必要です また冬季はチェーン規制が引かれます

DSC_0760
本丸

DSC_0761
DSC_0762
DSC_0763
本丸からは富士山が見えます

他にも空堀などは見れますが、保存状態がそれほどいい訳では無いです